放鬆と脱力は違う

一般的な太極拳教室では、放鬆(ファンソン)を説明するときに、脱力やリラックスするといった表現をされていると思います。
または「ゆるむ」と言われることも多いかもしれません。
放鬆とは、中国語の表現で日本からしてみたら外国語で、当てはまるいい言葉が無かったのだと思います。

漢字というのは、表意文字であり、文字の形に意味があります。

「鬆」という文字はかみがしらに松という字が充てられています。
毛髪状のものを表す部首に松、といえば、松の葉が思い浮かびます。
松の葉は細長く、弾力性があり、葉と葉の間は隙間が空いています。
この、松の葉のような状態は、人体に当てはめると、だらんと脱力するわけではなく、隙間はあるけど最低限の張りを残す感じです。

実際、手の力を脱力した場合、五指は掌側に軽く曲がります。
さらに腕を持ち上げれば、手首から下に垂れるようになるはずです。
でも、太極拳では手首を沈めて指を上に軽く伸ばして、座腕(ざわん)にしなさいと教わります。このことからも、放鬆と脱力は本来違うものであることが伺えます。

放鬆とは、体を必要最低限の弾力性のある緊張を持って(鬆の状態)、技を放つということです。

「萎えるな、ゆるめ」といわれて???となる方も多いと思います。
私は昔言われたときは頭に?がいっぱい並びました。

脱力しきった状態が「萎える」であり、最低限の張りを残して余分な緊張をしていない弾力性のある状態を「ゆるむ」と考えていただければよいと思います。